人気ブログランキング | 話題のタグを見る

地形学の視線で見たこと,感じたこと


by kumakuma1103

ありがとう

さきほどまで講座の飲み会でした。
そこで,Ya君からこのプレゼントを頂きました。
M君と一緒にかってくれたとのこと。
体も心も温かいですわ。

飲み会ではひたすら,某坂道の話ばかり。
Mさんもかなりのおひさまということがわかりました。
3年のCさんやSさんも坂道に詳しい様子。
真面目な話はほとんどなく,
H君には申し訳ないことに。
ありがとう_d0179225_21504892.jpg
ふだんはまじめな話ばかりですよ。本当は!

PSちゃんにぶは群馬におったとは初耳でしたわ。

# by kumakuma1103 | 2019-12-19 21:52 | 雑記

三永の石門

上三永から田万里へ下る二号線のところ。
わからんのが,初代(明治〜昭和30年代)から二代目に変わった時期。
田万里のヘアピンカーブが対面だった時代は,
多くの事故が起きたことが想像されますね。
昭和30年代は交通量が少なかったが,
それ以降は,高度経済成長期になって
車の数が増えたんでしょうね。
二代目から三代目の変更は昭和53年のこと。
ただし,西行きの道は,対面走向の二代目を使うことに。
すなわち,純粋な三代目は東行の道と,二代目と三代目をつなぐ高架部分。
西行きは登りのためスピードがでにくいので,
ヘアピンカーブがある二代目の道を使うことを考えたのでしょう。
三代目は二代目の南側につくったので,西行きを二代目に使おうとすると
2度三代目をまたぐ必要があり,高架によって越えています。
トラックがちょうど高架の上をとおっています。
ちなみに左上に,近世の山陽道跡もちらっと写っています。
日本の道400年の歴史ですな。古代と中世はしらん。
三永の石門_d0179225_00065445.jpg
三永の石門_d0179225_00083243.jpg



# by kumakuma1103 | 2019-08-13 00:14 | 広島の地理・地形

上根峠の空撮

上根峠の空撮_d0179225_11021335.jpg
上根峠の空撮_d0179225_16440307.jpg
上根峠の空撮。北に向かって撮影。手前の根の谷川(a)は細い谷に対して,簸ノ川の谷(b)は谷幅が広い。
根の谷川は手前に向かって流れて,太田川に合流し広島平野で海に注ぐ。
一方,簸ノ川は写真奥に向かって流れて,江の川に合流し江津で日本海へ注ぐ。
簸ノ川の広い谷が突然終わるのがおかしい。写真中央右側に黄緑色の平坦面(c)がみられる。
これが,昔の簸ノ川の河床の跡。根の谷川の侵食力が強いので,どんどん簸ノ川の流域がなくなっている。

「争奪の肱」と呼ばれるところが,河川争奪の最前線。高低差が大きいので,まだまだ根の谷川は侵食することができる。


# by kumakuma1103 | 2019-08-11 11:19 | 広島の地理・地形

三島の本宿用水

三島に来ております。伊豆ジオパークや「ふじのくに地球環境史ミュージアム」の学芸員の方に聞き取りをして,どのようなコンセプトで立ち上げたのか,現在の取り組みなどについて詳しく伺うことができました。で,「ふじのくに地球環境ミュージアム」からの帰り道に,伊豆ジオパークのサイトを街中で見つけました。黄瀬川にある鮎壺の滝というもので,落差10mの滝があり,1万年前の噴火に伴う富士山から流れた溶岩の末端にできていました。




 溶岩は硬く侵食が進まないので,滝ができました。しかし面白いのは,溶岩が覆った下の地層が,噴火前の地層が,火山灰や土壌という軟らかい地層であったため,下の地層が先に侵食されてしまい,オーバーハング状態となり,ブロック状に溶岩が河床に落ちていき,結果として谷頭侵食が進んでいるようです。 鮎壺の滝の上には,用水路の頭首工があり,「本宿用水(ほんじゅくようすい)」に流す水をここから取っていました。滝近くと用水沿いに解説がありましたので,まとめると以下の通り。

三島の本宿用水_d0179225_07281732.jpg

・(慶長8)年に興国寺城主天野三郎兵衛康景が黄瀬川から取水して本宿の山麓扇状地に水をおくる「本宿用水」をつくったこと。
・頭首工の部分を「新井堰」と呼んだこと。
・隧道(トンネル)があり,当初は280間であったこと
・安政の大地震(1854年)によって,隧道が陥没したこと。・領主から230両と,借金をして,新しい隧道を掘削したこと。 まあ,当たり前の疑問ですが,なぜにトンネルという面倒な構造物を掘らないといけないのかが気になりますね。

 で,早速,用水路に沿って歩きます。現在のトンネルの入り口。

三島の本宿用水_d0179225_07460718.jpg




トンネルの出口は,企業の敷地内。なので,敷地からでてくる用水路はこちら。




 さてトンネルを掘った理由ですが,単純にいうと,鮎壺の滝から下流では,水田のある地形と河床に7m程度の高低差が出てくるので,高い位置にある鮎壺の滝の上から水を取ってくるためです。

三島の本宿用水_d0179225_07212258.jpg

ただ,通常であれば,トンネルではなく,川沿いの段丘崖に水をつくるのですが,ここではその方式をとらなかったようです。考えられるのは,川が蛇行していて,水路のところが攻撃斜面にあたるので,それをいやがったのかもしれません。いずれにせよ,トンネルを掘ったことで安政の大地震が起こるまで250年にわたり安定して水を送ることが可能となったのです。川沿いの段丘崖沿いに水路を作ったのであれば,何度も修復する必要はあったと思います。あとは,掘るのがさほど難しくないほどの硬さであることが必要かと思います。





 さて,水はどの水田を涵養していたのか。地形的な話でいえば,ここはIIII面の段丘面に区分されます。I面は溶岩の堆積面かも。

三島の本宿用水_d0179225_07193865.jpg


 高度を考えれば,おそらくはIII面の水田に水を送っていたはず。最近はこちらからgoogle earthに古地図を載せることができるので,そこから地図をつくってみました。思ったように,III面に水田がありました。


水路の隧道としてはかなり初期のものではないでしょうかね。




# by kumakuma1103 | 2019-06-11 07:32 | 街道・用水と地形

ドローン撮影


昨日撮影したドローンの写真.芝桜が満開でした.
ドローン撮影_d0179225_15354411.jpg

こちらは千足池の様子.撮りたかったのは貯水池ではなく,円筒分水.

ドローン撮影_d0179225_15354476.jpg

# by kumakuma1103 | 2019-04-19 15:37 | 広島の地理・地形