地形学の視線で見たこと,感じたこと
by kumakuma1103
上三永から田万里へ下る二号線のところ。わからんのが,初代(明治〜昭和30年代)から二代目に変わった時期。田万里のヘアピンカーブが対面だった時代は,多くの事故が起きたことが想像されますね。昭和30年代は交通量が少なかったが,それ以降は,高度経済成長期になって車の数が増えたんでしょうね。二代目から三代目の変更は昭和53年のこと。ただし,西行きの道は,対面走向の二代目を使うことに。すなわち,純粋な三代目は東行の道と,二代目と三代目をつなぐ高架部分。西行きは登りのためスピードがでにくいので,ヘアピンカーブがある二代目の道を使うことを考えたのでしょう。三代目は二代目の南側につくったので,西行きを二代目に使おうとすると2度三代目をまたぐ必要があり,高架によって越えています。トラックがちょうど高架の上をとおっています。ちなみに左上に,近世の山陽道跡もちらっと写っています。日本の道400年の歴史ですな。古代と中世はしらん。