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地形学の視線で見たこと,感じたこと


by kumakuma1103

三島の本宿用水

三島に来ております。伊豆ジオパークや「ふじのくに地球環境史ミュージアム」の学芸員の方に聞き取りをして,どのようなコンセプトで立ち上げたのか,現在の取り組みなどについて詳しく伺うことができました。で,「ふじのくに地球環境ミュージアム」からの帰り道に,伊豆ジオパークのサイトを街中で見つけました。黄瀬川にある鮎壺の滝というもので,落差10mの滝があり,1万年前の噴火に伴う富士山から流れた溶岩の末端にできていました。




 溶岩は硬く侵食が進まないので,滝ができました。しかし面白いのは,溶岩が覆った下の地層が,噴火前の地層が,火山灰や土壌という軟らかい地層であったため,下の地層が先に侵食されてしまい,オーバーハング状態となり,ブロック状に溶岩が河床に落ちていき,結果として谷頭侵食が進んでいるようです。 鮎壺の滝の上には,用水路の頭首工があり,「本宿用水(ほんじゅくようすい)」に流す水をここから取っていました。滝近くと用水沿いに解説がありましたので,まとめると以下の通り。

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・(慶長8)年に興国寺城主天野三郎兵衛康景が黄瀬川から取水して本宿の山麓扇状地に水をおくる「本宿用水」をつくったこと。
・頭首工の部分を「新井堰」と呼んだこと。
・隧道(トンネル)があり,当初は280間であったこと
・安政の大地震(1854年)によって,隧道が陥没したこと。・領主から230両と,借金をして,新しい隧道を掘削したこと。 まあ,当たり前の疑問ですが,なぜにトンネルという面倒な構造物を掘らないといけないのかが気になりますね。

 で,早速,用水路に沿って歩きます。現在のトンネルの入り口。

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トンネルの出口は,企業の敷地内。なので,敷地からでてくる用水路はこちら。




 さてトンネルを掘った理由ですが,単純にいうと,鮎壺の滝から下流では,水田のある地形と河床に7m程度の高低差が出てくるので,高い位置にある鮎壺の滝の上から水を取ってくるためです。

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ただ,通常であれば,トンネルではなく,川沿いの段丘崖に水をつくるのですが,ここではその方式をとらなかったようです。考えられるのは,川が蛇行していて,水路のところが攻撃斜面にあたるので,それをいやがったのかもしれません。いずれにせよ,トンネルを掘ったことで安政の大地震が起こるまで250年にわたり安定して水を送ることが可能となったのです。川沿いの段丘崖沿いに水路を作ったのであれば,何度も修復する必要はあったと思います。あとは,掘るのがさほど難しくないほどの硬さであることが必要かと思います。





 さて,水はどの水田を涵養していたのか。地形的な話でいえば,ここはIIII面の段丘面に区分されます。I面は溶岩の堆積面かも。

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 高度を考えれば,おそらくはIII面の水田に水を送っていたはず。最近はこちらからgoogle earthに古地図を載せることができるので,そこから地図をつくってみました。思ったように,III面に水田がありました。


水路の隧道としてはかなり初期のものではないでしょうかね。




by kumakuma1103 | 2019-06-11 07:32 | 街道・用水と地形