地形学の視線で見たこと,感じたこと


by kumakuma1103

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ちょっとしたつながり

今日は、某学会の仕事で東京へ。
昼前に高崎から新幹線にのることになったので、
昼食は「登利平」の弁当を買いました。

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買ったのは「鳥めし松弁当」。


ところで群馬出身の人は、
登利平の鳥めし「竹」弁当が好きなようです。
松と竹の違いは、
竹がむね肉だけですが、
松は、もも肉とむね肉が半々。
二つの食感が楽しめる「松」のほうが
僕はすきですが。

なぜ、群馬出身の人が
「竹」が好きなのかは、
どうも子供会の行事の際で
この「竹」弁当を食べることが多く、
それが原体験となっているからと、
聞いたことがあります。



さて、弁当をたべつつ、
原武史の「鉄道ひとつばなし3」を読んで
車中を過ごしました。
この本は、タイトルのあるように
鉄道に関するコラムなのですが、
単なる鉄道の知識を書いているのではありません。
鉄道という窓を通して、
当時の社会情勢や文学、宗教、地域の変化などを
わかりやすく独自の視点で教えてくれます。


で、読み始めると、
山陽本線の普通電車の旅について
書いていました。
原さんがきまぐれに途中下車した駅が
「東福山駅」。
タクシーで向かった先は
前から気になっていたという
山の上にある住宅団地。
団地の名は、県営引野団地。

実は僕が小学校の頃すんでいた町。
よく引野団地にもいっていました。
当時は県営団地といっていましたが。

あまりにも偶然で、
とりはだが立ってしまいました。


あとは、テレ東のアド街ック天国では
「仙川」が取り上げられていました。
実はこれもまた僕が幼稚園の頃まで
すんでいたところの最寄駅。
番組で取り上げていた
実篤公園は今でも覚えています。
立川段丘と武蔵野段丘の段丘崖(国分寺崖線)に作られた
武者小路実篤の私邸を、
実篤が亡くなった後に公園にしたところ。
自分が通った幼稚園もこの国分寺崖線のがけ下に
ありました。



なにかと自分の過去とのつながりを感じた一日でした。
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by kumakuma1103 | 2011-05-28 23:05 | 雑記 | Comments(2)
まだ居残りでやっています.
なんというか調査自体行き当たりばったりなところがあったり,
そもそも未知の分野だということもあるのでしょうが,
得られたデータを基にした議論がふくらみません.
どうしたものやら.

昨日,某仕事の依頼あり.
お役に立てるならと前向きな返事.
例のところを論文にしておかないと.

(以下1:50追記)
強引に完成させました.
明日最終確認して,
印刷します.
疲れました.
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by kumakuma1103 | 2011-05-26 01:01 | 雑記 | Comments(0)

海浜幕張駅周辺の液状化

昨日は学会へいっていました.
会場は幕張メッセ.
会場の最寄り駅の海浜幕張駅周辺で
液状化の痕跡が
あちらこちらにありました.


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黒いアスファルトの部分は,
今回の地震動の揺れでずれたところを補修したあと.
至る所にあります.

傾向としては,大きな構造物と何もない歩道との境界で
ズレがおきているようです.
基礎のある建物は液状化の影響を受けず,
そうでないところは液状化で砂が地表にでてしまい
沈降しているということでしょうか?
専門家ではないので確たることは言えませんが,
観察からはそう見えました.


某所にてのミッションは無事?終了.
秋を待ちたいと思います.

木曜日の日本地誌の作業は,
結構意欲的に取り組んでくれた学生が多かったので
まずまずの手応え.
地誌の授業で,講義と作業学習を合わせた
具体的な授業案を各地域ごとに
きちんとまとめていきたいとは思うのですが....

今日は,金曜日にある学会発表準備.
同じ会場です.
今夜は長そうです.
こんやはやまだ.
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by kumakuma1103 | 2011-05-25 17:25 | 雑記 | Comments(0)

日本地誌

日本地誌の授業は,
自然環境と人々の暮らしの関係について
地域性を反映した事象を取り上げています.
今日は,中国地方に多い土石流と住宅開発について.

群馬の人には,広島郊外に広がる涙ぐましい住宅開発は
イメージが湧かないかもしれません.
平坦地が限られていることから,
住宅地を造成するため
尾根を削り谷を埋めてつくっています.
広島の住宅の価格が一般に高いのは,
一つには造成にかかる費用が上乗せされているから
ではないでしょうか?

で,今日の作業はこちら.
地形図の図歴がないのですが,
1950年と2001年の「広島」2.5万です,
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作業としてはこちら.
1.古い地形図にある枠内の谷筋を色で引きなさい.
2.新しい地形図の相田三,四,五,七丁目
の住宅地の外縁を縁取り
トレーシングペーパーに移しなさい.
3.安川にかかる橋の一部は,昔から現在まで位置が変わっていない.
その橋をトレーシングペーパーに移しなさい.
4.トレーシングペーパーを裏にして,
鉛筆で線の部分を塗りなさい
5.再度表にして,橋の位置を目安に
古い地形図の上に合わせなさい.
6.トレーシングペーパーの線をなぞりなさい.
古い地形図に住宅地の外縁が薄く描かれます.
7.はっきりと住宅地の外縁を縁取り,
住宅地の外縁より上流の谷筋と外縁が接するところを×で示しなさい.
8.住宅地はどのように造成しているのか述べなさい.
土石流の発生地点を想定しなさい.

さあどうでしょうか?
谷筋に線をひくところがネックだと思います.
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by kumakuma1103 | 2011-05-23 15:26 | 授業 | Comments(2)

玉ネギの収穫

学会発表の準備で慌ただしくなっています.
中山道の連載もとまっていますしね.
書くネタはあるんですが,
少し確認しないことがあったりと
その手間が大変です.(と言い訳)

Ha君から体育祭社会が優勝したとのことききました.
努力が成果に結びつくのはすばらしいと思います.
おめでとうございます.

さて,玉ネギを収穫しました.
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かなりの出来映えです.
干してつるして
半年はこれで持ちそうです.
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by kumakuma1103 | 2011-05-22 10:16 | 雑記 | Comments(0)

家庭菜園の現状

久しぶりに家庭菜園の状況を報告します。

ブータンから戻って、
直後に太平洋沖地震が起こってから、
畑をやる意欲がわきませんでした.
4月末の連休から
ブータン渡航前の2か月間のブランクをへて、
始めることにしました。
現在の様子はこちら。

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手前の玉ねぎはかなりの出来映え。
ねぎの部分が倒れてきたので収穫サイン。
収穫してサツマイモをすぐに植えようと思います。

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手前の肥料の袋のカバーの中にはナスとピーマン



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手前のマルチにはトマトを植える予定。
メッシュのケースはにんじん植え付けようの日よけ。
メッシュの続きのマルチのところは、
サヤインゲンとオクラの種を植えています。
奥のポールを立てているところはきゅうりとモロヘイヤ。
きゅうりの延長のマルチのところは、
トウモロコシと枝豆。
早朝起きて植えてきます。
植えてきました.(5/19朝追記)



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メッシュケースの日よけはニンジンの発芽を助けるもの。
過去3年。ニンジンはうまくできていません。
発芽の際に十分な水分を与えて
土壌を乾かさないことが
できていなかったという反省のため、
日よけをしています。
きちんと芽がでています。
ことしこそはニンジンを収穫したいものです。




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手前はジャガイモ。
手前から奥に向かって成長の度合いが違うのは、
意図したものではなく、
植えてから全く水を上げておらず,
手前側がより乾燥して生育が不十分なため。
奥の右はかぼちゃ、左は小玉スイカ。
今年は、あまり甘くない黄色スイカを確認もせず購入したという
昨年の(苦い)反省をふまえて
赤色の実ができる品種を確認して植えつけ。
どちらも地面をはう性質なので、
あと半月したら収穫するジャガイモのところに誘引する予定。


ということで、夏野菜の畑計画は完成で、
明日には、サツマイモの苗を買いたいと思います。

家庭菜園が面白いのは、
出来不出来が成果として一目瞭然であることや
知識だけでも駄目だし知識がないのも駄目というところ。

自分が食べる野菜の作付スケジュールは
だいたい頭に入っているのは大きな成果か。
北軽や片品で力を発揮できると思います。(人文ですけど)

あと、自宅では、
シソ、ミツバ、ミョウガ、ネギの薬味、
バジル、ルッコラのハーブ類、
グリーンカーテン用のゴーヤも作付済み。
あとは、ミニトマトを植えることか。
早朝植えてきました(5/19追記)
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by kumakuma1103 | 2011-05-18 23:07 | 定点観測 | Comments(0)
さて、大門屋さんの高崎だるま製造見学を終えると、
すぐ先にある藤塚の一里塚へいきました。

一里塚は、管理する主体である江戸幕府がなくなると、
道路の拡幅などの理由によって
明治以降取り壊されることがほとんどです。
群馬県内をみても一里塚がきちんと残っているのは
実はここだけです。
昔は街道の両側にあったらしいのですが、
現在では南側の一里塚のみですけど。


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一里塚を過ぎると、国道18号は旧中山道は別となり、
少しは街道らしい雰囲気になります。
途中、豊岡の茶屋本陣へいき、
中に入らせてもらいました。
茶屋本陣とは、大名や公家などが休憩を取るための家屋で、
本陣、脇本陣と違って宿泊することは
できないことになっています。




豊岡でみた赤城牛の看板。
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豊岡からはひたすらの歩き。
豊岡の集落を過ぎ烏川を越えて、
烏川左岸の低地を歩きます。
少し進むと左に折れて
高崎台地の段丘崖を登ります。

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登るとそこは高崎の市街地。
今回は田町や連雀町などの中山道を通らず
その手前に中山道と並行して作られている
中央銀座の商店街を歩くことに。

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学生の中には商店街の中にある
本屋さんに思い出がある方も。



少し余談ですが、
実は初期中山道は田町や連雀町の通りではなかったのです。
それについて書いている「隠居の思いつ記」というブログの記事がこちら


それによると、今伝えられている街道筋の1本東側の通りが
近世初期中山道とのこと。
その理由は「そこに一里塚稲荷が明治元年まではあった」と
伝えられているからです。
分間延絵図(1800年頃)や岐蘇安見絵図(1750年ごろ)ではすでに
現在の中山道が描かれているので
おそらくかなり初期に現在の街道筋を中山道に指定していると思います。
しかし移設する理由はわかりませんが、
このように少しだけ街道をずらす例は
北本鴻巣間にもあります。


さて、中央銀座を過ぎて、そのまま南へいきます。
途中おいしいコロッケを売るお肉屋さんへ向かう学生も。

左で写真を撮っているのは、
地理研のO君。
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でようやく高崎駅に到着、
3時50分でした。

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みなさまお疲れ様でした。

ただ、江戸時代の旅人はこの倍の距離を
毎日歩いていました。
その大変さを少しだけ実感として
知ってもらうことができたと思います。


4時過ぎに学生と別れて
僕と手伝ってもらった院生さん+T君は、
昨年の歩き授業の時にもいった「高崎温泉」へ
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by kumakuma1103 | 2011-05-18 05:42 | 授業 | Comments(2)

中山道を歩くその2

さて、昼食をとって
午後から、高崎だるまの製造過程を見学するため、
鼻高橋たもとにある大門屋さんに伺いました。

社長さんから、高崎だるまの起源、
現在と昔のだるまの製造過程の違いについて話を伺いしました。
ちなみにこの社長さんは、
高崎だるま製造組合の組合長さん。
実は伊勢崎の初市で偶然知り合い、
見学をお願いしました。
その経緯はこちら



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明治期の新聞の発達、外国からの赤色の塗料の仕入れなどが
だるま製造の近代化に一役買ったと伺いました。
新聞は溶かして和紙と混ぜだるまの型にしたとのこと。


僕が興味深かったのは、
ダルマの絵付けの修行のため、
若い方が4,5人作業していて、
みな高崎近郊出身と伺ったことです。
高崎だるまは、地域団体商標となっているため、
ここで修行した後、
店を構えるのも高崎近郊にという縛りがあるからです。
例えば、広島で店を構えて
高崎だるまと同じデザインのだるまをつくっても
高崎だるまとは売り出せないことになります。

高崎だるまは、
歴史(農閑期の副業、養蚕の成功を願う)、
製造工程(絵付けは人力、意匠の独自性)、
販売方法(だるま市で年1回買う)が、
一体となって成立した固有の文化というべきものなので、
製造工程だけを別のところでやっても
意味がないことはわかります。



今現在、だるま製造にかかわる方は
どのような人で、どういう経歴なのか?
店同士でどのようなつながりがあるのか?
組合はどのような機能を持っているのか?
製造工程にかかわる生産者の全体像を調べることは、
高崎だるまが将来も末永く続いていく方策を考えるうえでも
必要なことだと思いました。
(と、Kさんにふっておきましょう)


と、少し話がずれましたが、
社長さんから話を伺ったあと、
サプライズで絵付け体験をさせてもらいました。
僕自身、社長さんから事前に伺っていなかったので、
びっくりしました。
学生は大喜び。



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絵付けをすることになり、
かなり真剣に社長さんの筆さばきを見入っています。



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絵付け中。筆をいれたダルマはお土産として各自持って帰りました。




忙しい中、
社長さんにはお話や絵付け体験をさせていただき
本当にありがとうございました。

学生さんには将来教員になったら
ぜひ社会見学でここを訪れて、
群馬独自の文化である高崎だるまについて
生徒に学んでもらうようにしてもらいたいです。
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by kumakuma1103 | 2011-05-17 05:57 | 授業 | Comments(0)

中山道を歩くその1

いつも冒頭で言い訳をしないといけませんが
またもやご無沙汰です。


この間の土曜日14日に安中駅から高崎駅までの
中山道を歩くという授業をしてきました。
中山道の授業をするようになって今回で3回目ですが、
毎回近くの中山道を歩くようにしています。
初回は軽井沢→横川、2回目は倉賀野→新町。


実際に中山道を歩くことで、
昔の旅人がどのくらい大変だったかを感じたり、
街道沿いに残る近世の痕跡を見つけたりと、
本や授業だけでは得られない実体験として、
街道を理解してもらいたいと思ったからです。
(どうせ授業の内容は忘れるけど、
歩いたことは一生忘れないだろうという読みもありますが)


さて、安中駅についてから
ひたすら高崎に向かって中山道沿いを歩きました。
雨上がりの青空のもと、
歩くのにちょうどいい気候でした。
安中駅とはいいながら
安中の中心地からはかなり外れています。
むしろ板鼻に近い場所。




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板鼻宿と板鼻堰用水。
用水の水面の高さと中山道の道の高さに大きな違いがありません。
これは田植えの時期で水かさが増しているということもあります。
そもそも板鼻宿自体が低地に立地しているからですが、
低地の中では相対的に高い自然堤防上にあります。
ただ板鼻堰用水もここまで同じ自然堤防の上を流れているので
高低差がありません。
ここから宿場の北側を流れるようになります。
そこは昔の碓氷川の流れた跡の旧河道にあたり
宿場とは数mの高低差となります。
碓氷川の左岸脇にあたるので、
用水よりも碓氷川の氾濫による
洪水が多かったとは思いますけど。



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本陣跡にある書院。
和宮が宿泊した記録があるようです。
板鼻宿を含めて群馬県内の中山道の宿場は
明治以降にも国道として利用されたため
昔ながらの町並みはほとんどなくなっています。




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国道18号の歩道を歩きます。
ペースがいろいろなので
100m以上も長くなってしまいます。
ちなみに「しんがり」には当ブログでもおなじみの
T君と変人さんにお願いしていて、
この二人よりも必ず前を歩くことと
伝えています。
歩いていると、4組ぐらい
明らかに中山道を歩いている方々と
すれ違いました。


とりあえずここまでが午前中。
午後はだるま製造の見学です。
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by kumakuma1103 | 2011-05-16 05:41 | 授業 | Comments(4)
少しご無沙汰&中山道の連載が止まっていますが…。

この連休はほとんどどこにもいきませんでしたが、
急きょ利根川最上流にある湯ノ小屋温泉に行くことにしました。
途中、以前からGOTTIさんからすすめられていた白井宿へいくことに。
ちょうど満開の八重桜が宿場用水沿いにさきほこっていました。
ここは、街道の真中に用水路を配置したタイプ。
今はなくなっていますが、坂本宿もこのタイプでした。
金井宿は、宿場の周囲を取り囲むタイプ。
宿場用水のタイプ分けをしてみたいですな。

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道端で売っていました。
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この用水の末路が気になりますな。
どういう利用をされているのか?


そのあと、利根川河畔に沿って遡上。
奈良俣ダムにつきました。
ロックフィルダムとして有名。
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4時前には湯ノ小屋温泉に到着。
たぬきのお宿。すずめのお宿ではありません。
なにやら館林の茂林寺を彷彿します。
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温泉は結構熱くて苦手です。
まあ食事も…。


翌日はゆっくり温泉をでて南下。
棚下の滝をみたかったので、
行ってみると
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駐車場には崩落した巨石が。
見上げると、固結した火砕流の壁から落ちてきたことがわかります。
巨石の下に竹が下敷きになっているので
最近落ちてきたことがわかります。
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ここで火砕流が利根川をせき止めたことで
沼田の市街地の段丘面が形成され、
その後、溢流して浸食がすすみ、
低い段丘をつくりながら現在の片品川の位置になったとされています。


今から津波判読が待っていますので
駆け足で紹介しました。
中山道は、地質断面図で少し苦しんでいますが
いいものができそうな気もしています。
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by kumakuma1103 | 2011-05-09 15:22 | 群馬の地理・温泉 | Comments(0)