地形学の視線で見たこと,感じたこと


by kumakuma1103

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金曜日更新といいながら
かなり適当に更新していますが。
少し早起きをしたので、
中山道のルートの高度変化についても
簡単に書いておこうと思います。
また断面図をのせておきます。
d0179225_615578.jpg


さて、中山道を使って
江戸から京都まで歩くとして、
どのような起伏があるのかを
書いてみようと思います。

江戸日本橋から高崎までは、
20m程度の崖を上り下りすることはあるのですが、
基本的には関東平野の台地や低地を歩くので、
平坦な道のりです。
武蔵と上野の境は神流川です。

高崎を過ぎると、
利根川の支流碓氷川沿いを歩きます。
徐々に勾配がきつくなります。
横川関所を過ぎたところにある
坂本宿からは峠道となり
一部で崖のようなところを登ります。
標高1180mの碓氷峠を過ぎると信濃に入ります。
信濃側は上野側に比べて緩い勾配となります。
こういう峠を片峠あるいは片坂と呼びます。
佐久盆地では千曲川を横断しますが、
そこでは川のたもとでは標高630mまで下がります。

途中標高910mの笠取峠を越えますが、
むしろその先にある和田峠に比べると
全くかわいいものです。
和田峠は断面図をみてわかるように、
両側とも勾配がきつく、
どちら側から登ってもきつい峠です。
中山道随一の難所となります。
ちなみに中山道の前身である東山道は
この和田峠経由ではなく、
北の長野盆地を迂回して
距離はあるものの高低差を抑えたルートに
なっています。

和田峠の標高は1600m、
峠をこえると転げるように下り
諏訪湖湖畔の標高約800mの下諏訪宿に
到着です。
諏訪湖は天竜川の流域。
ただし、再び峠があり、
塩尻峠標高1000mで再び日本海へ流れる流域に
はいります。
東山道は塩尻峠を超えずに天竜川沿いの右岸の
木曽山脈のすそ野を経由するので違うルートとなります。

塩尻を過ぎると犀川流域奈良井川に沿った
勾配の緩いルートになります。
鳥居峠の手前にある奈良井宿を過ぎると、
急に勾配がきつくなり、
標高1200mの中山道第二位の高さの峠を超えます。
鳥居峠を越えると、
そこからは木曽川沿いの道を進みます。
木曽川沿いの河成段丘を伝って
道がつけられています。

中山道を別名木曽街道と呼ぶのも、
木曽川沿いを100km近く歩くからでしょう。

木曽川沿いをそのまま歩けば話は早いのですが、
木曽川沿いから外れて途中標高790mの馬籠峠を
通ります。
わざわざ面倒な峠を通らなくても
木曽川沿いなら勾配もなくて楽なのにと思うのですが、
おそらくこの区間の木曽川沿いは
街道をつけられるようなルートがなく
断崖絶壁の区間が長いのだと思います。
(これについてはまた後日検討するはず?)

江戸時代はこの馬籠峠を越えていましたが、
明治にはいると木曽川沿いに道がつけられることになりました。
結果、馬籠峠のふもとにある
二つの宿場、妻籠宿と馬籠宿は
明治以降取り残された寒村となってしまいました。
ところが、昭和40年代の懐古的な観光地ブームの中で、
この二つの宿場は
近世の宿場景観を残しているということで
脚光を浴びることになります。
まさに「塞翁が馬」、馬つながりですな。


さて、話がそれましたが、
馬籠峠を過ぎて中津川宿、大井宿(恵那市)を過ぎると、
三河高原上を歩きます。
僕自身歩いたことはないので
偉そうなことは言えませんが、
明治以降主要道から外れているので、
近世の街道の雰囲気が残っているはずです。
このあたりは浸食小起伏面と呼ばれる標高450-500mの
浅い谷が広がる高原です。
昔の扇状地が隆起したもの。
それを過ぎると再び木曽川の左岸に着き、
太田宿で木曽川を越えます。
「木曽川の渡し」として中山道の難所の一つに挙げられています。

あとは標高50m以下の濃尾平野を
ほぼ東西に一直線に横切り、
標高170mの関ヶ原を越えます。
その後は琵琶湖湖畔の穏やかな勾配のルートを歩き、
草津宿に到着。

お疲れ様でしたと自分に対して。

この断面図に地質構造と活断層を
入れてみようかなと思った次第。
西日本の花崗岩と東日本の火山岩や堆積層なので
明瞭な差がでそうですな。
はまったら一日でつくれそうですけど。
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by kumakuma1103 | 2011-04-30 05:55 | 中山道 | Comments(0)
先週の院ゼミでは、
前橋市総社のあたりを歩くことにしていました。
大学の校舎を降りると
強風の中に雨が混じっていたので、
急きょやめて、
地図作業に切り替えました。
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前橋市役所で2500分の1都市計画図を購入していたので、
50%に縮小して用水路と等高線をえどることにしました。
用水路は簡単でした。
おもしろいのは、五千石堰用水は天狗岩用水から分かれて
天狗岩用水の左岸を流れているのに、
地図の星印のところで、五千石堰用水は天狗岩用水の上を
流れる立体交差になっているのです。
下の写真は用水路同士が立体交差をしている場所。
d0179225_1895596.jpg


天狗岩用水は暗渠になっているので
わかりにくいのですが、
左から右下の谷中の道路の下に
天狗岩用水が流れています。
一方写真右から下にかけての水が
流れている用水路が五千石堰用水です。
この写真は2年前の院ゼミで撮影したもの。
(見えている線路は上越線。
いい写真を撮るためには電車がくるまで待つのがいいのですが)


結果として、五千石堰用水は天狗岩用水の右岸を流れることになります。
この続きの場所はこちらの記事を参照のこと(こちら



さて、地図作業の話に戻ります。
用水路はさっさとわかったのですが、
等高線がかなり難しい。
市街地なので等高線がどこにいくのかかなりわからず。
そんななかでも新M1のC君は黙々と作業を続けていました。
M君は......

都市計画図は等高線間隔は2m。
一部には補助曲線も入っています。
描いてみると北西から南東に低下する
緩傾斜の扇状地であることが
わかってきました。

面白いことに、五千石堰用水は、
人工的に屈曲をしながらも、
標高128mから126mの等高線の間を
等高線に対して平行に流れていることがわかります。
つまり取水場所からできるだけ高度を減らさない工夫が
なされています。
それに対して、天狗岩用水は
扇状地の扇央を横断するように作られていて
結果的に高度がだいぶ低くなっています。

五千石堰用水は、
戦国時代にあった総社城や
佐渡奉行街道(旧三国街道)の宿場総社宿の
環濠としての役割を担っていたとされていますが、
地形の関係からみると、
むしろ高度をできるだけ高い位置になるように考えていて、
下流の後背地の受水面積を広げる工夫が
隠されていると思います。
江戸時代初期につくられた天狗岩用水は
それよりも後で、その目的は最終的には
玉村周辺の新田開発と宿場用水なので、
ここで高度を稼ぐ必要はなかったといえます。

天狗岩用水の直線性に比べ、
五千石堰用水はふらふらして無駄な形状を
しているように見えましたが、
五千石堰用水のほうが地形を
うまく利用していることがわかりました。


再来週調査の際には
この微妙な勾配にも気を付けてみようと思います。
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by kumakuma1103 | 2011-04-29 18:10 | 雑記 | Comments(0)
昨日の授業の地図作業も
基本的にはちゃんとできていたようです。
ただ、明瞭な傾斜変換線を横切っていないので、
等高線の粗密で傾斜を表現することがまだ理解していないかもしれません。
深谷断層のところでまた地形断面をやろうと思います。

さて、連載の続き。
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2回目につづいてこの断面図の説明。
現県名の下にある河川名は、
その区間ではそれぞれの川の流域を示しています。
と書いていて、この図の大きなミスに気づきました。

荒川がないじゃん。
熊谷のあたりで流域を変えないといけません。
今日大学へ行くので修正版を用意します。

修正版に入れ替えました.
ついでに中央分水界の位置も入れておきました.

まあそれはおいておいて。
中山道を歩くと、荒川、利根川、千曲川、天竜川、
犀川、木曽川、長良川、揖斐川、淀川(琵琶湖)の流域を歩きます。
千曲川と犀川は長野盆地で合流して一本になり、
新潟県では信濃川になります。
この千曲川と犀川だけが日本海へ注ぎます。
残りの川はすべて太平洋側へ注ぐことになります。


なので、千曲川と利根川の流域の間にある碓氷峠、
千曲川と天竜川の流域の間にある和田峠、
天竜川と犀川の流域の間にある塩尻峠、
犀川と木曽川の流域の間にある鳥居峠は、
太平洋側と日本海側へながれる河川の境界にあたり、
中央分水界と呼ばれています。
これをみると、中山道沿いの4つの中央分水界は、
中山道の峠としても標高が高い峠になっていますね。
ちなみに中央分水界は「泣き別れ」とも呼ばれています。

下の写真は,旧中山道沿いの碓氷峠にある中央分水界.
d0179225_17393514.jpg


ここでおしっこをすると,
石を境に左だと日本海へ、
右だと太平洋に
分かれて流れてしまいます.
例えが悪くてすみません.
分水界上にある石の周りが濡れているのは
もちろん今の話と全く関係ありません.


濃尾平野に注ぐ木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)の流域も通過します。
長良川と揖斐川の流域の境は,
時代によって変わるので斜線で表現しています。
濃尾平野は木曽三川が流入し水害が多いところです。
水害から家屋・田畑を守るために「輪中」という堤防を設置しています。
いつのことになるかわかりませんが、
それについても解説できたらと思います。
3年前大学院生のK君と大垣輪中を
自転車で廻ったことを思い出しました。



琵琶湖も、瀬田川・宇治川・淀川と
最後には大阪湾に注ぐので、淀川と表現しています。

次回は中山道の高度変化について
書こうと思います。

4月29日夕方改変
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by kumakuma1103 | 2011-04-29 05:34 | 中山道 | Comments(2)

今日の授業

今日は,日本橋から荒川までの話を予定.
地形の概況と河川争奪日本橋周辺の地形の話をするつもり.
その後は再び地図作業.
今日は奮発してカラーのものを.
等高線の仕組みを学んで欲しいと思っています.

作業は以下の通り.
1.中山道を赤で塗りなさい.
2.信越本線と碓氷川間の等高線をえどりなさい.(計曲線,主曲線,補助曲線,凹地に注意)
3.水田,畑,桑畑をそれぞれ別の色で塗りなさい.
4.碓氷川と等高線が交わるところを赤で示しなさい→碓氷川の河床高度
5.中山道と等高線が交わるところを赤で示しなさい→中山道の高度
6.鷹巣橋-君が代橋間の中山道と碓氷川の河床の縦断面図を書きなさい.

結構まごつく学生がでそうです.
d0179225_9505072.jpg



さ来週,明治末と現在の地形図の比較を通じて
どう変化したかを考えてもらう予定.
それで,その週末に地図判読した地域を巡検します.

我ながら良くできていると
自画自賛.
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by kumakuma1103 | 2011-04-28 09:50 | 授業 | Comments(0)
昨日、津波被害の現地調査にいったメンバーと
判読結果を持ち寄る検討会をしてきました。

空中写真に僕らの測量グループが写っているかもと
先日現地調査メンバーに対してメールしていました。
すでに彼らも確認していて
やはり空中写真で認められる二つの移動する点は
僕らだろうということになりました。

ちょうど、津波遡上上限域を歩いていることや、
二つの点の移動の仕方が測量のやり方と一致していること
も根拠になりました。

自分自身がうつっているのが確認できたのは
初めてです。
自分の車がうつっていることを
確認したことはあったのですけど。
結構珍しい発見だと思います。
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by kumakuma1103 | 2011-04-28 05:52 | 雑記 | Comments(0)

グミの星形

話の前振りがあるのですが、
面倒なので端折ります。

ともかく、僕がHa君のために
グミを買ってきたところからはじめます。
もちろん近くのKさんが狙っていて
グミをもらっていました。
Kさんのつかんだグミは、
いつもはハート形なのに星形。
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「ねむいねむい」といっていたのに、
レアな星形を引き当てたので目が覚めたとのこと。




ゼミの前に院ゼミ用の都市計画図を買いに、
某役所にいってきました。
1階では石橋さんが受付で働いていました。
ツチハシさんは探したもののわからず。


今からまた津波遡上の判読。
今晩中には終わりそうです。
いったい何時間やったのか?
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by kumakuma1103 | 2011-04-26 21:28 | 雑記 | Comments(4)
まだ津波遡上判読を続けています。
今気づいたのですが、
今判読している写真の撮影日が4月5日。
僕が三陸海岸へいったのが4月2日から6日。
フィールドノートを確認すると、
今まさに空中写真でみている地点に
いっていたことがわかりました。
空中写真の撮影時間を確認してみて、
もしかしたらもしかで、
自分が空中写真にうつっているということに
なりはしないだろうか。

空中写真でみえる影からは
午後の撮影ということがわかります。

追記:
ものすごく拡大してみていると
道路をあるく2つの点がみえます。
なぜ歩いているかわかるか?
写真は連続で撮っているので、
前後の写真で少しだけ移動しているからです。
今回の撮影間隔が何秒かわかりませんが、
ともかく止まっていなくて
少し動いているので歩いていると判断しています。
2つの点とは、
もしこれが僕らの測量グループの点であるなら、
測器を覗く人と、ターゲットを持っている人になります。

かなり可能性がありそうです。

写真をブログにアップしたいのですが、
いろいろ制約があり難しいです。
近くの方にはまたお伝えします。
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by kumakuma1103 | 2011-04-26 09:57 | 雑記 | Comments(0)
d0179225_17454814.jpg


さて,図だけアップしていてすみません.
文章を付け足します.
まあ図を眺めれば自明のことが多いので,
説明はあまりいらないと思いますけど.

この図は中山道のルートに沿った地形断面図です.
基本的には20万分の1地勢図と5万分の1地形図を
併用してつくりました.
まさにローテク.

この図は情報量が多いのでとりあえず
この回は中山道のルートの旧国名と都府県のみを紹介.
図中の断面上に置いてある緑色の丸は宿場の位置を
番号は板橋宿を1番目とした宿場の通し番号を
それぞれ示しています.
断面の下には,旧国名と現在の都府県名を
のせています.
東京都と埼玉県をあわせた旧国名は武蔵,
群馬県は上野,長野県は木曽と信濃,
岐阜県は美濃,滋賀県は近江に
それぞれ対応しています.

ただ,1箇所だけ対応していないところがあります.
よくみると,岐阜県と長野県の県境のところ。
木曽の南端が岐阜県になっています。
実は、これ平成の大合併で、
県を超えて合併したため。

島崎藤村の「夜明け前」で有名な馬籠宿は、
長野県の集落でしたが、
合併先を岐阜県中津川市としてしまいました。
その理由は、馬籠の谷が中津川にむかって開いていること、
中津川が近隣の中心的な街であったことでしょうね。
馬籠の人々は買い物などほとんど岐阜県側で
していたはずです。
逆に合併を長野県の自治体とするとなると、
峠を越えないといけないし、
中津川ほどの大きな町でもない。


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「夜明け前」のこの一文だけを取り上げるのは
いかがなものかという気もしますが。


馬籠宿の酒屋でみかけた
木曽路の看板。
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話がだいぶそれてしまいました。

4月29日 修正版の図と入れ替え.
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by kumakuma1103 | 2011-04-25 15:38 | 中山道 | Comments(0)

続津波遡上判読

昨日、今日と暇さえあれば
津波遡上判読をしています。
おそらくこれまでで一番精度は高いと思います。
この家と家の間まで津波がきたとかを確認しながら
やっているので。
きちんとつくってKMLファイルにすれば
汎用性がありそうです。
使ってもらってなんぼですから。

ということで、
中山道の連載もいきなり遅れます。

某先生より指示があり、
ファックスにて某県に要望を送付。
うまくいくのかどうか?
市民感情とどう折り合うか。

そういえば昨日
高崎市立図書館へ。
新しくできた図書館は
開放的でオサレ。
ただ、図書館と駐車場の間は
いきなり車道になるので
かなり危ないですね。

図書館には社会科2年の
M君とZ君がいました。
結構渋い本のセレクションでした。
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by kumakuma1103 | 2011-04-24 20:30 | 雑記 | Comments(0)

津波遡上判読

いっしょに判読しているメンバーの方々から
アドバイスを受けてだいぶ判読根拠が整理されてきました。
というよりやりすぎだったのを改めただけですが。

今日は午後から私用のため、
一日中有給をとり、
自宅で判読中。
昨日のやりすぎ判読を修正中。
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by kumakuma1103 | 2011-04-22 10:07 | 雑記 | Comments(0)