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地形学の視線で見たこと,感じたこと


by kumakuma1103

旧六合村の夢の跡その1

先日,恒例の地理学実習がありました。
実習2日目の午後,
いろいろ見聞きしてきたことをご報告。


六合(くに)村は,
2010年中之条町と合併したため,
村としてはなくなり,
中之条町六合地区となっています。
草津白根山の山麓にある
草津温泉の東側に位置し,
緑豊かで,のどかな農村です。

ところが旧六合村は,
太平洋戦争末期から昭和40年代にかけて,
鉄山開発,野反ダム建設といった
第二次産業が盛んで
今の様子とはまるで違っていたのです。


その一つの象徴が,
すでに廃線となった
国鉄長野原線(現吾妻線)の
長野原(現長野原草津口駅)-
太子(おおし)間といえると思います。
現在JR吾妻線は,長野原から吾妻川に沿って
大前まで延びていますが,
そもそもは渋川から長野原を経由し,
旧六合村の太子までの路線を
つくるために線路が敷かれたのです。
敷かれた時期は太平洋戦争末期の頃。

なぜ,わざわざ太子まで線路を引き,
しかも太平洋戦争末期という
鉄が不足していたこの時期に線路を引いたのか?

実は,鉄が不足していたから
この路線を設置したのです。
旧六合村の元山というところで,
低品位ながら鉄鉱石の鉱山があり,
群馬鉄山と呼ばれていました。
鉄鉱石を輸入できない戦争末期
なけなしの鉄を利用してまでも
鉄鉱石を運搬する必要があったのです。


で,能書きはここまでにして,
その旧太子駅にいってきました。
旧六合村の夢の跡その1_d0179225_23473740.jpg
行き方は簡単。
重要伝統的建造物群保存地区「赤岩集落」へ行く橋を
渡らずに橋のたもとの道を左に行って
しばらく平坦でまっすぐな道を進めば
旧太子駅に到着。
この平坦でまっすぐな道が廃線跡なんですけど。



この場所がなにやら駅くさいなぁと思っていましたが
確証が持てませんでした。
地元の方がいたのできいてみると,
旧太子駅であっているとのこと。
旧六合村の夢の跡その1_d0179225_23501795.jpg




この方の話が面白かったので
小一時間ぐらい立ち話。
戦後直後から現在までの
太子駅周辺の盛衰を全部知っているとのこと。


話を伺った後,
4年のSa君と,2年のNさんから
聞き取りが終わったとの連絡があったので
二人を連れてここにやってきました。
で,「知ったげ」(知ったかぶりという広島弁)に
地元の方の話の受け売りで
二人に説明をしました。


太子駅の駅舎の隣にあったトイレ。
駅舎はこれと同じような切妻式で,写真左側に駅舎があったとのこと。
旧六合村の夢の跡その1_d0179225_23542889.jpg



山際にあるコンクリートの廃墟。
屋根に穴が開いていますが,
ここから鉄鉱石を落としていました。
Sa君が立っている場所に
無蓋車をいれて
鉄鉱石を積み込んだのです。
旧六合村の夢の跡その1_d0179225_23553253.jpg



聞き取りの内容は,箇条書きにて
・もともとは鉄鉱石を川崎にある製鉄所へ直接運んでいたが,
硫黄分を多くむ鉄鉱石であったため,
その硫黄分を取り除くための焼結工場とのこと。(これは『白根火山(下谷昌幸著)』から引用))
・元山にある群馬鉄山からは索道で鉄鉱石を運んで,
太子駅で貨車に積み替えた。(さきほどのコンクリの構造物のところ)
・製錬所の煤煙がひどく,今見えている山はすべてはげ山と化していた。
・そのため早くから公害訴訟が行われていた(安中公害訴訟よりも早かった?)
・戦時中は朝鮮人に強制労働をさせていた
・戦後は野反湖ダム建設もあって駅周辺はものすごい活気があった。
・ダム建設で使われたブルドーザーは解体されて,
鉄道の貨物で運ばれてきた。駅近くで組み立てなおして,
白砂川の河床に下りて,河床をすすみ,○○から道を進んだ。
・駅近くに映画館もあった。
・野反湖ダムができた後,ハイキングブームで
たくさんの観光客がきて,バス15台ぐらい列をなしていた
・バスに乗りきらない観光客はトラックではこんだ。
・観光客が捨てた弁当ガラを拾いに乞食があつまっていた。


そのあと,最近元山の旧鉄山が一般に開放されたので
いってみてはどうかと勧められました。

ということで,第2部は旧鉄山編。


ところで,なぜ太子まで線路を引いたのか?
索道の設置が,コストがかからないのであれば,
長野原まで索道を引けばいいはず。
逆に鉄道の方が,コストがかからないのであれば,
鉱山まで線路を設置すればいい話。
なぜ中途半端な太子に終着駅を作ったのか?

ここより上流は白砂川沿いでは
河成段丘が点在するようになり,
段丘がないところは峡谷状を呈します。
なので,鉄道を設置するためには,
橋をかけたり,法面を切り崩したりと
結構な大工事が必要となります。
ちなみに,太子まで白砂川沿いに
段丘面が連続的に発達していて,
そこまで大掛かりな土木工事は不要。

なので,
大規模な工事を伴う線路設置<索道<段丘面上の線路設置
という図式が得られそうです。

平坦なところでは,線路を敷くだけなので
安くしかも簡単に敷けるから、
できるだけ敷く。
それが無理なところからは,
次善の策として索道にしたと
考えるといいかなと思いました。

そういえば,索道の線の跡が
米軍撮影の戦後直後の空中写真に残っていましたので
また今度アップします。


長文になってしまい,
U先生に不評を買いそうですが。
by kumakuma1103 | 2012-07-19 00:13 | 群馬の地理・温泉