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地形学の視線で見たこと,感じたこと


by kumakuma1103

続々東毛をゆく

続東毛に行くの記事の前に,
大学院生と東毛にいった話が飛んでいました。

テーマは
「扇状地の扇頂から扇端までの
地形と土地利用の関係をみる」
まあいつものあれですけど。


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旧笠懸町鹿のあたり。奥に鹿田山が見えます。手前の石碑は庚申塔や馬頭観音。道は旧あかがね街道。足尾銅山から太田市世良田までの街道。今日はこの街道を下ります。


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両毛線を越えたところにある案内板。




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岡上影能(おかのぼりかげよし)の居住地。彼は江戸初期にこの地で総合開発を指揮した代官。端的に彼の仕事をいうと銅山開発,街道整備,新田開発を指導したこと。今は,住宅とハウスのきゅうりとブロッコリーの畑。用水がいる農業ではありません。



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岡登霊神社で遊具と戯れるM君。



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神社の道路の側溝。いいえ岡登用水だった用水路。国土地理院の地形図では,この側溝は岡登用水となっておらず,扇状地の両翼の水路が岡登用水となっています。しかし江戸時代岡上氏が農民に作らせた用水はここ。宿場用水と農業用水を兼ねていました。地形的にいうと,ちょうど扇状地の一番高いところに古い岡登用水があります。そこから人間の肋骨のように両脇に水を分岐させて利用していました。だからここに道がつけられたと思います。アイディアはよかったのにね。この神社のあたりは扇央。



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岡上氏を祭った神社。岡上と岡登の違いは,岡上姓が正しいのですが,お家断絶の後,後世の子孫が岡登姓を名乗ったため。岡登用水はすでに固有名詞になっているのでそれを尊重しています。あとは,東吾妻にある岡上用水と間違えないためか。




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ここでびっくりしたのは手前の灯篭に彫ってある文字。待矢場両堰の名が。江戸時代,岡登用水と渡良瀬川の水利権でもめた待・矢場堰が灯篭を寄贈しているとは歴史の移ろいを感じます。


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漬物工場を発見。社屋をバシャバシャ撮っていると
社員がガンミしてくるので,
しかたなく大根のつけものを購入。
なぜ写真を撮ったのか。
昔この扇状地は大根の産地。
収穫後赤城おろしにさらして乾燥して,
漬物にしていました。
おそらくその頃から続いている会社だと思います。
社員にそれについて尋ねてみましたが,
僕よりも若そうな人ということもあり,
関心を示してくれませんでした。

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木枯らしスパイダー紋次郎。漬物屋にありました。


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そして扇端の矢太神湧水地。


そもそもこの扇状地がどうやってできたのか?
これまで多くの人が議論していますが,
僕自身,異なる考えを持っています。
いずれそれにも手をつけないといけませんな。

ということで,終わり。



by kumakuma1103 | 2011-10-19 22:54 | 群馬の地理・温泉