見沼代用水と伊奈氏居城跡
2010年 11月 08日
先週金曜日に埼玉県伊奈町へいってきました.
まあ,伊奈町を知っている人もあまりいないと思いますが.
見沼代用水の東縁用水と西縁用水が
分水するところがあることや,
大宮台地の開析谷を堰き止めてつくった見沼や
玉村宿の宿場用水を整備した伊奈忠次(ただつぐ)の居城跡がある
伊奈町はぜひともいってみたかったところでした.
用事としては,高校へいき,
大学の講義をやってみるというものでした.
まあ,そのことはおいといて.
朝10時前に伊奈町についたので,
早速分水するところへ.
公園があり,散歩していた夫婦の方と用水談義.
なんでも三重の桑名出身とのこと.
昔,津で津波の調査にいったことがあるというと,
驚いていました.
この二人用水について結構しっていて,
勉強になりました.
江戸時代に書かれたこの場所の絵図をもとにしたレリーフ.
水路が綾瀬川をまたぐため,樋を設置し,
しかも分水しています.
現在は逆サイホンで綾瀬川の下をくぐっていますが,
綾瀬川と繋げない点では,
江戸時代も現在も同じ.
この用水路はわかれて
大宮の東のあたりで一部合流します.
なぜ綾瀬川と水路を繋げないのか.
それは,水路のほうが水面高度が高いため,
繋げると水路の水面高度を下げてしまい,
より広範囲に水を供給できないからです.
現在の綾瀬川.
江戸時代は悪水と呼ばれていました.
大宮台地の水田は,
見沼代用水と悪水間の高度をもつ土地で
行われていて,
悪水は,荒川へ注ぐ排水路にあたります.
ちなみに,綾瀬川はみての通り小さい川ですが,
僕たちの研究分野では知られた名前です.
実は,綾瀬川沿いに断層が南北に走っていて,
断層を挟んで大宮台地の高度が違っています.
あとは,改修前のレンガ造りの用水路跡.
その後,伊奈氏の居城跡へ. 伊奈氏は,前述したように,台地の開析谷に堰を作って,
灌漑用の池(見沼)をつくった人.
これにより,見沼下流の農地は安定して稲作をすることができました.
その後享保年間,その堰を切って池の水をぬき,
湖底に水田をつくったのが,見沼の田んぼ.
水田に必要な水を供給するため,
遠く利根川から緩やかな勾配で導水したのが,
この見沼代用水です.
あとは,この用水が,江戸と用水の沿線を結ぶ
舟運のルートにもなっていました.
通常は,用水路と悪水を結ぶ水路を堰き止め,水を農地へ送りたいが,
そうすると舟が通行できなくなるというジレンマを解消するため,
パナマ運河のように,樋門を開閉できる閘門式運河も整備されていました.
近世治水工事のすごさが実感できるものです.
来年の授業のネタがまた増えました.
まあ,伊奈町を知っている人もあまりいないと思いますが.
見沼代用水の東縁用水と西縁用水が
分水するところがあることや,
大宮台地の開析谷を堰き止めてつくった見沼や
玉村宿の宿場用水を整備した伊奈忠次(ただつぐ)の居城跡がある
伊奈町はぜひともいってみたかったところでした.
用事としては,高校へいき,
大学の講義をやってみるというものでした.
まあ,そのことはおいといて.
朝10時前に伊奈町についたので,
早速分水するところへ.
公園があり,散歩していた夫婦の方と用水談義.
なんでも三重の桑名出身とのこと.
昔,津で津波の調査にいったことがあるというと,
驚いていました.
この二人用水について結構しっていて,
勉強になりました.
江戸時代に書かれたこの場所の絵図をもとにしたレリーフ.
水路が綾瀬川をまたぐため,樋を設置し,
しかも分水しています.
現在は逆サイホンで綾瀬川の下をくぐっていますが,
綾瀬川と繋げない点では,
江戸時代も現在も同じ.
この用水路はわかれて
大宮の東のあたりで一部合流します.
なぜ綾瀬川と水路を繋げないのか.
それは,水路のほうが水面高度が高いため,
繋げると水路の水面高度を下げてしまい,
より広範囲に水を供給できないからです.
現在の綾瀬川.
江戸時代は悪水と呼ばれていました.
大宮台地の水田は,
見沼代用水と悪水間の高度をもつ土地で
行われていて,
悪水は,荒川へ注ぐ排水路にあたります.
ちなみに,綾瀬川はみての通り小さい川ですが,
僕たちの研究分野では知られた名前です.
実は,綾瀬川沿いに断層が南北に走っていて,
断層を挟んで大宮台地の高度が違っています.
あとは,改修前のレンガ造りの用水路跡.
その後,伊奈氏の居城跡へ.
灌漑用の池(見沼)をつくった人.
これにより,見沼下流の農地は安定して稲作をすることができました.
その後享保年間,その堰を切って池の水をぬき,
湖底に水田をつくったのが,見沼の田んぼ.
水田に必要な水を供給するため,
遠く利根川から緩やかな勾配で導水したのが,
この見沼代用水です.
あとは,この用水が,江戸と用水の沿線を結ぶ
舟運のルートにもなっていました.
通常は,用水路と悪水を結ぶ水路を堰き止め,水を農地へ送りたいが,
そうすると舟が通行できなくなるというジレンマを解消するため,
パナマ運河のように,樋門を開閉できる閘門式運河も整備されていました.
近世治水工事のすごさが実感できるものです.
来年の授業のネタがまた増えました.
by kumakuma1103
| 2010-11-08 22:06
| 雑記