地形学の視線で見たこと,感じたこと


by kumakuma1103

見沼代用水と伊奈氏居城跡

先週金曜日に埼玉県伊奈町へいってきました.
まあ,伊奈町を知っている人もあまりいないと思いますが.

見沼代用水の東縁用水と西縁用水が
分水するところがあることや,
大宮台地の開析谷を堰き止めてつくった見沼や
玉村宿の宿場用水を整備した伊奈忠次(ただつぐ)の居城跡がある
伊奈町はぜひともいってみたかったところでした.

用事としては,高校へいき,
大学の講義をやってみるというものでした.
まあ,そのことはおいといて.

朝10時前に伊奈町についたので,
早速分水するところへ.
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公園があり,散歩していた夫婦の方と用水談義.
なんでも三重の桑名出身とのこと.
昔,津で津波の調査にいったことがあるというと,
驚いていました.
この二人用水について結構しっていて,
勉強になりました.
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江戸時代に書かれたこの場所の絵図をもとにしたレリーフ.
水路が綾瀬川をまたぐため,樋を設置し,
しかも分水しています.
現在は逆サイホンで綾瀬川の下をくぐっていますが,
綾瀬川と繋げない点では,
江戸時代も現在も同じ.
この用水路はわかれて
大宮の東のあたりで一部合流します.

なぜ綾瀬川と水路を繋げないのか.
それは,水路のほうが水面高度が高いため,
繋げると水路の水面高度を下げてしまい,
より広範囲に水を供給できないからです.

現在の綾瀬川.
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江戸時代は悪水と呼ばれていました.
大宮台地の水田は,
見沼代用水と悪水間の高度をもつ土地で
行われていて,
悪水は,荒川へ注ぐ排水路にあたります.

ちなみに,綾瀬川はみての通り小さい川ですが,
僕たちの研究分野では知られた名前です.
実は,綾瀬川沿いに断層が南北に走っていて,
断層を挟んで大宮台地の高度が違っています.

あとは,改修前のレンガ造りの用水路跡.
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その後,伊奈氏の居城跡へ.
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伊奈氏は,前述したように,台地の開析谷に堰を作って,
灌漑用の池(見沼)をつくった人.
これにより,見沼下流の農地は安定して稲作をすることができました.
その後享保年間,その堰を切って池の水をぬき,
湖底に水田をつくったのが,見沼の田んぼ.
水田に必要な水を供給するため,
遠く利根川から緩やかな勾配で導水したのが,
この見沼代用水です.
あとは,この用水が,江戸と用水の沿線を結ぶ
舟運のルートにもなっていました.
通常は,用水路と悪水を結ぶ水路を堰き止め,水を農地へ送りたいが,
そうすると舟が通行できなくなるというジレンマを解消するため,
パナマ運河のように,樋門を開閉できる閘門式運河も整備されていました.
近世治水工事のすごさが実感できるものです.

来年の授業のネタがまた増えました.

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by kumakuma1103 | 2010-11-08 22:06 | 雑記 | Comments(0)